Words~コトバにみる~

登山

幸運の進路ひた登り 見えたぞ!白い頂上が。 登頂直後の本人手記に書かれていた言葉

頂上へ立った時には、感激というよりヤレヤレという感じ。降り始めてやっと実感がじわじわとこみ上げてきた。急に喜びがこみあげてきて涙があふれました。 出典:日刊ケイザイ(昭和54年5月24日)「忙中閉話」掲載のインタビューより

天気が悪いから(といって)出て行かなかったら、天気の良い日に頂上に行けませんよ、ハイどうぞ。 出典:「対談集 今西壽雄と語る」(日本山岳会 関西支部編)より マナスル登山中、村木潤次郎氏と徳永篤司氏が、突然の風に下のBCから出るのを躊躇していたときにいった言葉

両足を動かせば何とかなるやろ。 旧制中学時代、球技が不得手だった壽雄は、こう言い放ち、登山部にはいることを決めた

飲めるでしょうね、飲まんけどね。いや、僕飲んどったわ。 出典:「対談集 今西壽雄と語る」(日本山岳会 関西支部編)より 「高所へいってもお酒は飲めます?」の質問に答えた言葉。同行した医者もわからなかったくらい、体調には全く支障なかったという

登る山の道のりがどんなに遠くても、一歩一歩、あるいとったらいつかはたどり着ける。あきらめないことです。 1989年2月25日 朝日新聞掲載「向き合う人生」インタビューにて。山は何を教えてくれますか、の質問に答えた言葉

忍耐。 シベリアで鍛えられた忍耐に支えられ、マナスル登頂に成功できたと自負する今西が常に座右の銘としていたことば。「一歩一歩着実に、慎重に」前進する時の自己に対する戒めとして、よく周囲にも語っていた

首都カトマンズの公害問題を対処してほしい。 出典:「追悼 今西壽雄氏を語る」(日本山岳会 関西支部報)より ビシュヌ・ハリ・ネパール特命全権大使(当時)への発言

仕事

一度始めたら最後までやり抜け。しかし、慎重を第一に。 山で学んだ精神について語った言葉。仕事においても決定までは慎重だったが、決まったことについては極めて頑固であり、その意味でとてももどかしくワンマンだったと長男の邦夫氏は語る

人間のすることだから間違いはありうる。しかし人間がするのだから間違ってはいかん。 測定テープが傷み、1m切れていた為に、工事で行う前面道路測定に間違いがあった。その設計担当者を注意した際の一言

僕が、インタビューを受けたりするのは、1番に登ったからや!2番目やったらあかん!陸上競技とかスピードを競うスポーツは、次々に記録が生まれるけど、山登りは1番は1回だけやからね。 ネパール名誉総領事就任で部下と共にマスコミにインタビューを受けた際に、緊張する部下に投げかけた言葉。緊張して何も話すことができないところに、優しい笑顔で助け舟を出してくださったと当時の部下は語る。

かけ足でやるような国内の登山は苦手でした。山登りが他のスポーツと違うのは瞬間的な力を必要としないこと。こつこつ努力をつみあげてゆく点では建築と通じてます。 出典:昭和44年11月11日 朝日新聞「人」インタビューより

家族

山はやめとけ。 大学合格時の長男、邦夫に当時言った山の厳しさを知りつくした今西ならではの言葉。家庭では厳格でこわい反面、子どもに対する愛情は大きく、過保護な面があったという。

馬鹿もん。 「基本的には寡黙、人にはあまり怒りません。ただ私と芳子さん(壽雄夫人)は、よくこう怒鳴られていましたね」と当時、専属運転手だった中見氏は語る

横山大観は、酒を飲んでもあんなに良い絵をかいた。 出典:日本山岳会 関西支部編 酒豪で知られる今西は、過酷な登山にも酒を持参していた。そのため、「重たい、お酒が重たい、トランクの中がね」ともらしながらも決して置いてこうとはしなかったという

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