Work~シゴトにみる~

(株)今西組 三代目社長に就任
(株)今西組 三代目社長に就任

1963年(昭和38年)12月、㈱今西組 三代目社長に就任。今西壽雄社長は就任にあたり「会社の中心となるのは人であり、その心のよりどころ」とするために、社是「和協・誠実・奉仕」を制定し発表した。これは、今西組と目指す社員が目指すべき「人の和、まことの心、社会への奉仕」をひとつの言葉にまとめたものであった。1964年には第一次五ヵ年計画を発表、その経営姿勢は、佐藤前会長より引き継いだ礎をさらなる発展へと導く大胆なものであった。

Episode

社員より早く8時から朝一の掃除を始める等、社内に対し、常に厳しい目で見張っていた。「多くは語らないが、こうと決めたら動じない。冷静沈着な方」と社員は皆言う。本当に寡黙だった様子。「辛抱して良い仕事を」が口癖。役員会議でも口数少なく、だが迷うことなく決断していたよう。

山で学んだ精神、経営に活かす
山で学んだ精神、経営に活かす

今西氏は誠実なる施工をもって多くの公共事業を施工して信用を得た。経営方針も高い技術力を要求される官公庁の工事をその期待に応え、誠実に施工し、信用を維持していくことを第一義とし、もって社会に貢献せんとするものであった。特にバブルの崩壊等の混乱時期にあっては氏の非凡なる経営手腕とその秀たる統率力によって経営の合理化を推進しつつ事業をよく運営し、昨今他に類を見ない堅実経営で好業績を上げ、現在の確固たる地盤を築くに至っている。

Episode

当時、ある現場員が、工事で前面道路測定を間違えたとき、「人間のすることだから間違いはありうる。しかし人間がするのだから間違ってはいかん。」と注意した。現在でも強く心に残っていると、今西組に40年間おられるその方は話す。

ヒマラヤの恩返し

中日新聞 昭和45年1月23日(金曜日)
ネパール館の建設にあたっている今西組(本社・大阪氏)の今西壽雄社長(55) は、一九五六年、マナスル登山隊に加わって初登庁に成功した根っからの山男。 「山の関係でいろいろお世話になった」と、建設費の一部三百万円を寄付している。

ヒマラヤの恩返し

昭和45年大阪の千里が丘で開催された日本万国博覧会において、今西組は木曜広場、ネパール館等の建設にあたった。「マナスル登頂の時の好意が忘れられない。山の仲間がこれからも世話になる国のために、一肌ぬごう」。特にネパール館の建設にあたっては同国の経済事情も考慮し、採算を度外視した奉仕的な仕事をなし遂げたことは、ネパール国の感激と賞賛をよび、もって国際親善に一役を果たした氏の功績は高く評価された。またこの事実は広くマスコミの知るところとなり新聞誌上で取りあげられた。

Episode

このとき、社員に示した【後退する勇気】と、【それでも進む勇気】は、山で育んだ経験を、仕事において見事に遂行した結果である。

登山と仕事の共通点とは

仕事という点ではチームワークの大切さ。僕らの第三次隊が成功したのも隊長の人格、リーダーシップ、そしてチームワークづくりのうまさにある。チームの中では決して俺が俺がといって出ないで、自己犠牲の気持ちをもっていないとダメだ。結果的にはこれが自分を浮かび上がらせることになる。チームワークといっても現実には完璧に一体となったものには出来ない。要するに皆を盛り上げてゆくムードを作り出すことだと思う。
そして忍耐力。山は体力はもちろん、精神力の占めるウェイトが非常に高い。山で頼るものは自分の足しかない。誰も助けてくれないからね。忍耐、これ忍耐だ(笑)おまけに僕はシベリアで三年間抑留生活をやったから忍耐力だけは自信がある。 もう一つは夢とか目標をもってぶつかってゆくこと。頂上に達するまで一歩一歩積み上げてゆく、山あり谷あり、失敗してもまた意欲をもって取り組むという姿勢。山でも仕事でも一つの夢を実現していく喜びというのは何物にも替えがたいものだ。



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