Profile〜プロフィール〜

今西 壽雄(1914〜1995) 登山家 日本山岳会会長(1985〜1989) 株式会社今西組 代表取締役社長/会長歴任

1914(大正3年)生まれ。学生時代より登山をはじめ、日本山岳会の第三次マナスル登山隊に参加し、当時41歳というメンバーの中では高齢でありながら、第一登頂隊としてヒマラヤ・マナスル(8163m)世界初登頂に成功。その後、建設業を主業務とする今西組の社長として活躍。山で培った慎重さと忍耐強さでビジネス界でもその手腕を発揮した。1995(平成7)年11月15日 没す

今西 壽雄(1914〜1995) 登山家 日本山岳会会長(1985〜1989) 株式会社今西組 代表取締役社長/会長歴任
今西 壽雄(1914〜1995) 登山家 日本山岳会会長(1985〜1989) 株式会社今西組 代表取締役社長/会長歴任

旧制浪高時代より登山部で活躍、卒業時には済州島・漢拏山に遠征、京大入学後、一年生でモンゴル探検、卒業年には樺太に犬ゾリで乗り込む。戦時中には満州で妻と息子2人を亡くし、粗食に生き延びたシベリア抑留を経験。1953年(昭和28年)には京大アンナプルナ遠征隊長として登頂に挑むが、頂上直下でジェットストリームにはばまれて断念。死も覚悟した「壮絶なる撤退」は、同行したネパール人シェルパに「イマニシの判断力はヒラリー(エベレスト世界初登頂者)よりも優秀だ」と言わせた。1956年(昭和31年)に日本山岳会の第三次マナスル登山隊に参加し、シェルパのガルツェンとともにヒマラヤ・マナスル(8163m)世界初登頂に成功。ネパールと日本との国交が結ばれるきっかけとなった。母の「もうこのぐらいにしときなさい」の一言で"大きな山登り"は休止、南極探検隊の話もお断りした。その後、株式会社今西組 三代目社長に就任。大阪の日本万博ではネパール館を建設。「ヒマラヤへ登らせていただいたお礼返しのつもり」で、駐日ネパール大阪名誉総領事就任を引き受ける。その大胆さと慎重さを合わせ持つ株式会社今西組における経営力は山が育んだものでもあった。

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